定例研究会レポート

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<コロナ時代が変える私たちの生活と意識>
第2回 コロナ時代が変える
マザリング (mothering) ・ファザリング (fathering)
2021年10月23日(土)

<コロナ時代が変える私たちの生活と意識>

■講演テーマ・講師
「『46歳で父になった社会学者』が
      育児を通して考えたこと」

・工藤 保則先生(くどう やすのり)
  龍谷大学 社会学部 教授

「コロナ禍で問われる『おかあさんのミカタ』」
・高石 恭子先生(たかいし きょうこ)
  甲南大学 文学部 教授 ・ 学生相談室専任カウンセラー

■パネルディスカッション
●コーディネーター
 米澤 泉常任運営委員
 甲南女子大学 人間科学部 文化社会学科 教授
●パネリスト
 工藤先生、高石先生

新型コロナウィルス感染症の世界的拡大(パンデミック)は、世界中でこれまでの社会・経済・政治を大きく変革させ、私たちの働き方や家庭生活にも大きな影響を与えました。これまで「当たり前」と考えられてきた出産・育児・家事に対する問題点が顕在化し、意識のアップデートが求められる中、研究会では、「コロナ時代が変える私たちの生活と意識」をテーマに研究会を開催しています。第2回目となる今回はコロナ時代が変える、コロナ時代だからこそ変えていく「マザリング・ファザリング」について2人の先生に講演とパネルディスカッションをしていただきました。

まず、「『46歳で父になった社会学者』が育児を通して考えたこと」というテーマで工藤保則先生に講演いただきました。先生は『<オトコの育児>の社会学』と『46歳で父になった社会学者』の2冊を出版されており、前者は、男女で別々の反応があり、どちらもあまり良い反応でなかったこと、後者は、社会学者としてではなく、日常的に家事・育児をしている立場で子供の成長と生命力のすごさを書き残したい思いで出版され、詳細な観察と記録を褒めてもらったこと、まるで文化人類学のフィルードワークの本のように書評をいただいたことなどを話され、家族という一番小さな社会について書いたことが多くの人に共感を与えたのではないかとのことでした。その本の中から「距離」という話を紹介されました。コロナ禍でお子さんと1日中一緒にいることになり、すごくしんどく感じたので、正直にお子さんに話をして1日2時間だけ別々の部屋で過ごすことを約束してもらったことが非常に助かったというお話で、適度な距離の大切さと一般的に言われているソーシャルディスタンスの裏で、家族の中での距離の問題で実はすごくしんどかった人が多いのでないかということでした。また、色々な所で話をされる機会が増えて感じられたのは、女性の方が不安や不満を感じていること、男性には考えなくてもいいという男性特権がまだまだあるということ、「いのちの責任者としての自覚」の違いがあることを話され、子どもが生まれたら生活パターンが変わるのは当たり前で変わらないとすれば、それは女性だけに「変えさせている」ということであり、男性の失敗話、女性の苦労話ではない、育児の語られ方がもっとあっていいはずということでした。最後に「ファザイリング」について「父親であることを楽しもう」よりも、苦かったり、酸っぱかったり、いろいろな味があるので、それらも含めて「味わう」のがいいのではないかということをお話いただきました。

次に「コロナ禍で問われる『おかあさんのミカタ』」というテーマで高石恭子先生に講演いただきました。先生も一般論としてではなくご自身の体験に基づき、そこから普遍化できることがないかという視点でお話をいただきました。コロナ禍の中で、Stay Homeという暴力、不要不急の判断基準が暗黙のうちに男性が社会で行う仕事や経済活動にとって必要かどうかになっていること、新自由主義の社会の中で幸せや健康は個人の自己責任で各自追い求めてくださいという社会であり、結局、その判断が個人に委ねられ、幼い子どもについては大半が母親の責任に委ねられていること、そのひとつとして「距離という劇薬」という話を紹介されました。ほどよい親子の距離、人と人との距離が見失われ、コロナ禍がそれを促進していること、その実態をDVや児童虐待などの発生件数のデータで示され、とくに、心理的虐待に分類されるものの割合が増えていること、外からは客観的に見えづらい内面的な虐待が増えていることが、Stay Homeで、ずっと家族みんなが家にいることが何らかの関係があると考えられること、コロナ禍の影響として「あいまいな喪失」や「未来形のトラウマ」などの問題が今後顕在化するのではということでした。「あいまいな喪失」とは、物理的であれ心理的であれ、自分にとって大切な対象が失われるが、何がいつ決定的に失われたのかがわからない状態だと、その対象を断念すること、諦めることができず、回復のプロセスが起きにくいということだそうです。また、「未来形のトラウマ」とは、あったものがなくなったトラウマだけではなく、これから徐々に失われていくという予感への傷つき、予感される別離、来るべき喪失ということで、未来形のトラウマを私たちは負っているとのことでした。コロナ禍で私たちがいろいろなものを徐々に失いつつあり、これから失うという予感を持って傷ついていて、そのことへの反応はこれから恐らく長い年月をかけて徐々に起きてくる、見えてくるだろうということが予想され、そういった危機に対して子どもたちをどうやって守り育てるのかということが重要な一方で、大半のお父さんにとってコロナ禍によって子育ての時間はあまり増えていないという現実があり、マスで考えると子育ては母親が担うべきという意識はなかなか変わっていない、母親や母性に対する見方が子どもたちのこころの復興を阻んでいるとのことでした。そして、子育ての常識とされていることが、単なる思い込みで科学的に実証されたものはほとんどないこと、母子手帳でさえ、母乳、人工栄養、うつ伏せ寝などについて、その時代ごとで記載内容が変わってきていること、2020年においても育児は主に母親が行うべきと思っている人が多数派であること、そういったなかなか変わっていかない私たちの思い込み、信念、偏見などの「ミカタ」を変えるために、1つは「距離」が大事であり、親と子どもと最適な「距離」をおくこと、2つめにコロナ禍の危機というチャンスを生かすこと。多様性の時代で、つながり方の選択肢が飛躍的に増えたことや、「育てる父親」への力の期待とリスペクトを持つことが、自分自身へのミカタを変えるチャンスであるというお話をしていただきました。

パネルディスカッションでは、『あいまいな喪失』『未来型のトラウマ』について大学生の実態やサポートの現状、社会化と自分らしさの両立、ジェンダーレスという言葉の問題、いのちの責任者としての自覚、『お母さん食堂』の問題、ジェンダーギャップ120位のこと、また、今回は体調不良で参加延期になった太田啓子先生への事前質問と回答など多岐にわたったディスカションが行われました。個人的には高石先生からの「喪失すれば必ず得ることもある」という言葉が印象に残りました。また、工藤先生の多様性を認める社会、それぞれを尊重する社会は、「その人その人がしんどくない社会」ということにとても共感しました。この研究会を聞かれた方が少しでも楽になったり、ちょっと肩の力が抜けたというふうになればと感じる研究会でした。

 

(事務局長 岸本泰蔵)

  

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