Vol.01

島の触感

 彼女の声は泣いている。
「ママ、こわい。わたし、生まれてはじめてクルマを買ったの。」
 電話は、この夏から飛行機を乗り継いだ島で暮らし始めた長女キラカイからだった。

“ ママ、こわい。
わたし、生まれてはじめてクルマを買ったの ”

「神の住処」と呼ばれる海辺で、七歳のバースデー・ピクニックをした思い出…。大人と呼ばれる年を迎えたばかりの彼女は、ドーム(学生寮)から雨空色の古い町にあるカレッジに通っている。専攻はエスノボタニー(民族植物学)。「世界中の文化と伝統的な知恵を通じ、各地域に根ざした植物の使い方を知るスタディなの」そう得意気に語りながら…。

生まれ育ったこの島では、東の星の丘にある、オーガニック牧場でアルバイトをしていた。そうして貯めた資金で中古のクルマを買ったというのだ。ハイスクールのグラデュエーションを待つことなく、授業を抜け出し牧場で働くことが出来たのは、働くことによって卒業に必要な条件が満たせるように、学校に彼女みずから交渉済だったから。そんなふうに手に入れたお金で、たった今、クルマを買ったところだと電話の向こうの震えるような声が言う。ひとりで見知らぬクルマの売り主に会いに行き、自分の買い物が必要を満たしているかどうか、確かめたという。島から離れるために私財を手放そうとしていた売り主。「フライトに遅れそうだ」と、随分値下げしたそうだ。値を下げることで、買い手である彼女が、少しでも早く支払いを決断するのを助けるために。

それでも、十八歳がひとりで決断する買い物としては、ドキドキレベル超最大級。大冒険という以外の言葉は見つからない。幼い頃から、お墨付きのおてんばで、いつでも気丈な彼女でも、泣き出してママに電話するのも無理はない…。
「すごいね!」
 そんなわたしの言葉を聞いて、少し安心したろうか。
 彼女の牧場での仕事は、ぬくもりあるものが並べらえた店の番をしたり、オーガニック畑で野菜の苗を植えたり、時には馬たちの世話を手伝ったりと、さまざまな作業のローテーション。だから飽きることは無かっただろう。どの作業もアイナ(大地)との繋がりを感じさせる。手にするもの、いつも使うもの、身体に着けるもの、、それらが、「素直になれた時の自分」にとって「ここちよいもの」であることの大切さも、牧場やこの島のあたりまえの日々から、彼女は培ってきたことだろう。

“ 手にするもの、
いつも使うもの、
身体に着けるもの ”

だから今、わたしたちの元を離れ、波の向こうの島で暮らしていたって心配はしない。良きものを見極める感覚を、彼女はしっかり持っているはずだから。クルマを決断することだって同様。自分にとっての答えを出すことを練習してきたはずだから…。

 電話を切った後、彼女からおどけたメッセージが届いた。
「なあんてね。ほんとは泣いていないの!」
メッセージには、あかんべえの顔がくっついていた。

 島の天国131番地からは、水平線に寄り添うバージ(貨物船)が見える。サップグリーンが枝葉から、こぼれる朝露みたいにまばゆく輝く。その時間の手触りは、サンセット色のバラの花で染められた、まるでやさしい肌着のよう。いつまでもわたしたちを包んでくれる。それは驚くほどに、島の守り神のようにしなやかに。

“ サンセット色のバラの花で染められた、
まるで
やさしい肌着のよう ”

山崎美弥子さん

山崎美弥子

YAMAZAKI MIYAKO

アーティスト。1969年東京生まれ。多摩美術大学絵画科卒業。東京を拠点として国内外で作品を発表する。一転し、2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。