Vol.06

満ちて咲いて

「見ちゃだめ!」

 驚いて目覚める日曜日の朝。逆らうことはできそうもないその無邪気な声に従って、声の方角から目を背け、ベッドルームから脱出して庭に出た。音を立てないように。そうして、青々としたカーペットのような草たちや、色とりどりの小さな花たちを、愛おしむように水を撒き、わたしはゆっくりと時計の針が、文字盤を一回りするのを待ってみた。

「もういいかしら」

 家に近づくと同時に、内側から勢いよく扉が開いた。わたしの前に飛び出して来た小さなタマラカイの手に、ひときわ長く紡がれたみずみずしいプルメリアのレイが香りたつ・・・。後ろには三日月型に横に広がったキラカイの口元が見える。さらに三つものレイを抱えながら。

「ぜんぶ庭の花で作ったのよ!ハッピーマザーズデー!母の日おめでとう。」

 それは誇らしげで、嬉しそうなふたつの笑顔。さぞや早起きしたことだろう。アイヴォリーとマジェンダのプルメリア、黄色いイリマ、ラヴェンダー色のクラウンフラワー、赤いハイビスカス、そして紫色の長穂草・・・。ふたりの少女が夜明け色を背負いながら、寝癖の髪とパジャマの裸足で花々を摘んでは歩きまわるビジョンが、目の裏のスクリーンに映し出される。

“ハッピーマザーズデー!母の日おめでとう”

 サンダルウッドの丘の家を後にして、導かれるように天国131番地のこの家で、わたしたちが暮らし始めたばかりの頃、そこに広がっていたのは、数え切れないゴツゴツとした岩々と、鋭い棘のある乾いたキアヴェの木々ばかりだった。いにしえの島人たちは、誰もがアイナ(大地)と裸足で繋がり、いつでもこの惑星の鼓動と一体だった。それが生きるということだった。かつて調和された在来種の楽園だったこの島では、それがあたりまえの人の姿だった。キエヴェの棘は固くて長い。地に落ちた小枝の上を、過って歩いてしまったものなら、足の裏に突き刺さり、それは深い傷になる。侵略的外来種は、生態系を壊してしまう致命的な存在であり、キアヴェはその例外では無い。この丘から見渡す風景は、憎らしいキアヴェの木々で終わりも無く覆い尽くされていた。だけれど、そんなキアヴェにだって長所はある。ミツバチたちがキアヴェの花から集めたハチミツほど、天の祝福のように美味なものはこの世に無い。その真っ白いキアヴェハニーは、島では、宝のように珍重される。

 …惑星の裏側の、阿州の地を知る人は、この乾いた丘の風景を見つめる時、呟く。目を細めながら。

“誰もがアイナ(大地)と
裸足で繋がり、
いつでもこの惑星の鼓動と一体だった”

「サヴァナに似ている」

向こう側のエッジからは、横たわる水平線の青が私たちをいつだって見つめている。

 遥々と、波の向こうの緑の祖国から、島に訪れたわたしの母は、その乾いた風景を黙って見つめて、そして言った。

「花をたくさん咲かせなさい」

 それは長いこと、この惑星で生きて来た、島の言葉で彼女を呼ぶならトゥトゥ(おばあちゃん)だ。わたしはその時思った。花々で咲き溢れたこの丘を、母に見せてあげたいと。そして彼女が岩につまずいたりなどしないように、地を平らにしたいとも。モクレレ(飛行機)に乗って、母が帰ってしまった後からのこと、来る日も来る日も、ひとつずつ、わたしは岩を動かしては、でこぼこの土をならし、種を蒔き、苗を植え、水をそそいだ。野菜やフルーツの皮などは一箇所に集積して堆肥を作っては地に被せた。渇いた土は、みるみるうちに水を吸いあげてしまいながら、少しずつ少しずつ、本当に少しずつ、やさしくほぐれて微笑むようになっていった。そうすることで、わたしの魂とこの地とは、信じあえる関係を育んでいった。

…それから、十二ヶ月は幾度も巡った。いつのまにかこの丘に、こんなにもたくさんのレイが紡げるほどに色とりどりの花々が咲いていた…。少女二人によって、キスと一緒にわたしの首に、次々とかけられるそのレイたちの香りを深呼吸しながら、あの時の乾いたこの丘の風景を思い、わたしは目を見張った。たったひとつの言葉で、わたしのこころに、花々を咲かせようと決意させる種を蒔いたトゥトゥに、彼女の孫娘たちが、今紡いだレイを捧げよう。今や、天国131番地の家があるこの丘には、果実が熟れるが木々も茂る。海と空と地を愛し、循環を尊び、花々や果実の種をいつくしみ、どこまでも繋いでゆこう。1000年後の未来までも。

 小さな白い舌切草の香しい花、その初めての一輪が、ひっそり咲いているのを見つけたのも、やっぱり母の日の、きらり光る島の朝の出来事だった。

“海と空と地を愛し、
循環を尊び、
花々や果実の種を
いつくしみ、
どこまでも繋いでゆこう。
1000年後の
未来までも”

山崎美弥子さん

山崎美弥子

YAMAZAKI MIYAKO

アーティスト。1969年東京生まれ。多摩美術大学絵画科卒業。東京を拠点として国内外で作品を発表する。一転し、2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。